オナ禁の先にあるもの
今日でオナ禁を始めて7日目だ。
意外とすんなりとここまで来たが、オナ禁には波があるのだ。
オナ禁をしようとしても、なかなか出来ない時もあるし、何となく過ごしていたら、何日かオナ禁をしていたという時もある。
僕の場合、今オナ禁の波に乗っているのだろう。
そのまま続ければ良いだけだ。
でも、波に乗っていても油断はできない。
時々、何の前触れもなしに訪れるムラムラの荒波には要注意だ。
このムラムラの荒波は時間が経てば、静かになる。
問題は、この荒波の時間を耐えることが出来るかどうかだ。
もし、耐えられなくてアソコを触ってしまったらアウトだ。
ここは、触らずに耐えるしかない。
気を紛らわすために筋トレや有酸素運動をするという方法もある。
自分に合った対処法を実践するべきだ。
さて、前置きはここぐらいにして本題に入ろう。
いったい、オナ禁教の教徒たちはオナ禁に何を求めるのだろうか?
みなぎるエネルギーや強靱な精神力、己の力試しなど様々な理由があってみなオナ禁を志している。
そして、オナ禁を極めた先に一体、何があるというのだろうか?
僕のオナ禁の先には、セックスがある。
そう、僕がオナ禁を極めた先にはセックスがあるのだ。
僕は誓ったんだ。
セックスするまでオナニーしないと。
いや。
もうオナニーしないと誓ったんだ。
オナニーには害がある。
様々な害だ。
それを僕は知ったからオナ禁を志したんだ。
そして、オナニーの後の虚無や絶望、無気力を二度と感じないために。
僕は、オナニーをやめた。
オナニーは、妥協であり堕落であり罪である。
セックスできないから、オナニーで妥協する。
オナニーによって堕落した人間になる。
そして、オナニーは罪なのだ。
オナニーは僕をダメにした。
だから、僕はオナニーをやめたんだ。
オナニーによって失われた本来の自分を取り戻して僕は自立した人間になる。
そのために僕はオナ禁をするんだ。
僕は自分を律することができる自立した人間になりたい。
そして、その先にセックスがあるのだ。
ニートでは、出会いもなければ魅力もない。
それでは素敵な女性を射止めることはできないのだ。
ニートから脱却し、自立した人間になることで素敵な女性を射止めることができる。
僕は素敵な女性とセックスしたい。
そのためにはオナ禁が必要なんだ。
オナニーをすれば堕落した人間に僕はなってしまう。
オナニーで妥協していては僕は素敵な女性を射止めることができない。
オナ禁は、自分を成長させるための大事なツールだ。
オナ禁には人生を変える力がある。
だから、僕はオナ禁をする。
自分を律することができる自立した人間になり、素敵な女性を射止めて、そしてセックスをする。
そのためのオナ禁だ。
僕のオナ禁の先にはセックスがある。