おっぱいが大好きと叫びたい
僕はおっぱいが大好きだ。
何で好きなのかと尋ねられてもわからない。
おっぱいが大好きな理由なんてない。
ただ、おっぱいが大好きなんだ。
おっぱいが大好きだなんて童貞みたいだと思うだろう?
そうさ。
僕は童貞さ。
童貞だからおっぱいが大好きなのか?
そうかもしれない。
童貞じゃなかったら他の部位が好きだったのかもしれない。
でも、僕は童貞なんだ。
僕はおっぱいが大好きな童貞なんだ。
おっぱいにも好きな種類がある。
僕はデカパイが好きなんだ。
何というか、「デカパイ」と言った方がしっくり来るんだ。
わかりやすくサイズを言うと「Gカップ」だ。
そう、僕はGカップのデカパイが大好きなんだ。
Gカップの女性なんてなかなかいないし、僕は面食いだから、可愛いGカップの女性なんてほぼいないだろうね。
君はAVの見過ぎなんだと言われたら、そうかも知れないと答えるだろう。
小学校3年生の時から僕はAVを見ていたんだ。
そのときから僕はおっぱいが大好きだったんだ。
大きくて揺れるおっぱいが一番大好きだ。
誰だって最初は僕と同じく、おっぱいが好きだったんだと思う。
だけど、いろんな経験をして少しずつおっぱい以外を好きになっていくんだ。
だけど、僕は変わらなかった。
経験がないから変わらなかったんだと思う。
だって僕は、童貞だから。
童貞の僕は経験がないからおっぱいが好きなままなんだ。
なにも変わらない。
ただ、おっぱいが大好きなままだ。
前置きはこの辺にして本題に入ろう。
僕にはおっぱいが大好きと叫ぶ勇気はない。
恥ずかしいし、変な人だと思われるからだ。
でも、それはおかしいと僕は思う。
少なくとも、男性でおっぱいが好きじゃない人はほとんどいないし、むしろ好きだ。
人間の人口約半分が好きなものを大好きと叫ぶのは別におかしくはないはずだ。
なのになぜ、おっぱいが大好きと叫ぶのに躊躇するのだろうか?
なぜ、おっぱいが大好きと叫ぶことができないのだろうか?
僕は不思議に思う。
タブーというものがあるが、それはモラルやマナーと一緒でその場にいる人や特定の人や物事に気遣い、嫌な思いをさせないためにある。
しかし、おっぱいは何がいけないのだろうか?
考えれば考えるほどわからない。
なぜ、おっぱいが大好きと叫んではいけないのか?
もしかすると、おっぱいに何かしらコンプレックスを抱えている人に気遣っているのかもしれない。
自分のおっぱいが好きではない人もいるだろう。
おっぱいが小さいことが悩みの人もいれば、大きいことが悩みの人もいるだろう。
それに、おっぱいは性的な言葉であり、性的な発言を不快に感じる人もいるはずだ。
なるほど、わかったぞ。
おっぱいが大好きと叫ぶことによって、不愉快や不快な思いをする人がいるのだ。
記事を書いていたら、段々とわかってきた。
おっぱいに対して何かしらのマイナスのイメージを持っている人がいて、おっぱいが大好きと叫ぶことによって、マイナスのイメージが引き起こされるため、この発言は不適切ということになる。
おっぱいが大好きと叫ぶことによって不快に思う人がいる可能性があり、その人を不快にさせないためにも、叫ぶことは慎むべきということになる。
では、なぜ叫ぶことに躊躇するのだろうか?
それはおっぱいが大好きと叫ぶことによって、誰かを不快にさせるという罪悪感や周りの人間の悪いことをさもしたかのような風当たりを受けることに原因があるのではないだろうか?
叫ぶことによって何か悪い事をしたように感じるから躊躇してしまうのだろう。
結論が出たようだ。
おっぱいが大好きだと叫ぶことによって、誰かを不快にさせてしまう。
そのため、悪い事をしたという罪悪感を感じるために、叫ぶことを躊躇してしまう。
これが結論だ。
なるほど、おっぱいという単語には様々な力が宿っているらしい。
それでも、僕はおっぱいが大好きと叫びたい。
以上。